Page:Onishihakushizenshu04.djvu/586

このページは校正済みです

的法則に從ひて行はざるべからず、遍通的法則に從ひて行はば各自が其れ自らの目的にてありながら、おのづから一致は其の間に成り立つべきなり。故に道德法の此の第三の形は其の第一の形に云へる遍通的法則といふ觀念と第二の形に云へる人格てふ觀念とを相結合せしめたるが如きものなり。

《道德法は命令として現はれ來たる。自則的倫理說と他則的倫理說。》〔三四〕上に述べたる道德法は、カントの言に從へば、吾人の行的理性其の物の立つる法則なりといふ意味にて先天的なり、又其の內容となるものを意志活動の形式其のものの外に求むるを要せずといふ意味にて先天的なり、又此の故を以て件の道德法は其の効力に於いて經驗上の事實を根據とするものにあらず、換言すれば、吾人が實際曾て從ひし事ありといふ經驗上の事實が其の効力(Gültigkeit)を成すにあらず。即ち吾人が實際曾て從ひしことあり或はあらずといふことは毫末も道德法の効力を增減する所以のものにあらず、吾人の實際其れに從はざることあるに拘らず其の大法は吾人の當さに從ふべき法則なり。故にカントは其の所謂道德法の効力を說きて假令一人として曾て此の法則を守りたることなく又向後に守ることなしとすとも尙ほ其が道德法たる効力に於いて毫も損する所なしと云へり。