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結果たる關係を有することをいふものにして一切事物の絕對的原因といふが如きものは吾人の經驗の範圍內に在らず。かくの如く吾人の悟性の槪念を正當に應用し居る間は常に相對的(bedingt)の範圍內に在るものなり、是れ恰も論理上吾人の推理作用が理由と斷案との關係に從ひ一步々々に進み行きて其が絕對の始及び絕對の終を定むること能はざるが如し。

されど一旦槪念を用ゐて事物の統一を爲し而して其處に始めて智識と名づくるものを形づくりし以上はおのづから益〻其の統一を擴張し行かむとすべし、而して其を擴張しゆくことの窮極は終に絕對的統一を全うせむと試みるに至るべし、而かも其の如く絕對的統一を全うせむとするに至れば必ず吾人が經驗の範圍を超えざるべからず、何となれば絕對的といふことは吾人の經驗の範圍內に存せざればなり。カントは此くの如く絕對的統一を與へむと力むるものを名づけて理性Vernunft)と云ひ而して其の統一を與ふるが爲めに用ゐる槪念を名づけて理性の觀念と云へり。通常謂ふ所形而上學は此の理性の觀念を用ゐることによりて形づくらるゝものにして而して謂ふ所理性の觀念は悟性の槪念以外別に存するも