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知識上十分なる理由を備へたるものに非ずと論じたるに似たり、但しカントはヒュームが專ら心理學上の立場より考へたるとは異なりて彼れが揭げたる特殊の知識論上の見地よりせるなり。カントの意見が如何に多くの點に於いてヒュームの所說と相接近して而かもまたおのづから其の面目を異にせるかを看よ。

《相對的統一と絕對的統一、理性と理性の觀念。》〔二五〕形而上學上の論に吾人の心を運ばすことが何故に知識的要求上自然の事なるか。以爲へらく、前章に論じたる悟性の槪念は統一的作用を有するもの、されど其のなす統一は局部的のものなり、換言すれば、一現象と他現象とを關係せしむる上に於いて其の統一的作用を爲すのみにて其の外に出でず。例へば吾人が全體又は一體といふ槪念を用ゐるも其は畢竟唯だ或局部に限りたる處に全體又は一體の統一を與へ得るのみ、例へば此の花を一つの花として或は花の全體を指してしかじかなりと云ふ如きも要するに唯だ一事物一現象に於けるの統一に外ならず。吾人の實驗する所は全體といふも一體といふも又因果といふも畢竟個々の現象に於いての事にして有りとあらゆるものの絕對的統一は吾人の經驗內に存せざるなり。因果の規律といふも此の一現象が他の一現象の原因又は