Page:Onishihakushizenshu04.djvu/558

このページは校正済みです

我が心面に寫すの謂ひにあらずして其の物を成り上がらしむることが是れ旣に知識其の物の作用なり。吾人が自然界を知るといふは我が悟性の作用によりて知識の對境を造り上ぐるなり。故に自然界の法則は他より吾人の心に與へらるゝものに非ずして吾人が自然界に與ふるものなり、立法者は外物にあらずして我れなり。かくの如く自然界は吾人が之れに因果律等の法則を與へて始めて成り上がるものなるがゆゑに其の界の全範圍を通じて因果律等の法則の行はれずといふことなしと。斯く考へてカントはヒュームがさきに因果律は是れ唯だ吾人の主觀的習慣に基づけるものにして自然界に客觀的に遍通なるものとは斷ず可からずと云へる疑を破するを得と思へり。即ちヒュームに從へば因果律は主觀的なるが故に遍通的ならずと云ひ、カントに從へば其れが吾人の心性そのものの働きにして、其の意味にて主觀的のものなればこそ又能く客觀的に遍通なる効力を有するものとして認めらるゝなれと云ふ。此の點に於いてカントは往時コペルニクスが天文學上に爲したると同樣なる(但し云はば其を倒まにしたるが如き)革命を哲學界に行ひたるものなりと自吿せり。盖し世人が地球を中心として天