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《知識論に於けるカントの新見地、立法者は外物に非ずして我れ也。》〔二二〕此くの如くカントは自然界を成り立たしむる所以の法則即ち形式は吾人の思考力即ち悟性其の物の働き方なりと見て自然科學に於ける綜合的判定の先天的に立せらるゝ所以を證明せむとせり。以爲へらく、若し綜合的判定に於いて綜合せらるゝ事柄が唯だ後天的に與へらるゝならば吾人は何故に其の必然的に又遍通的に然るかを了解し得べからず、然れども其の綜合は吾人の思考力其の物の與ふる所なるを以て吾人の思考力を以て接する所必ず其の綜合の行はれざることなし吾人の自然界に於いて觀る法則は吾人の心性其の物の與ふる所なるがゆゑに其の法則は遍通的、必然的なるを得るなり。

以上述べたるカントの知識論に於いて吾人の知識の成り立ちに關する新見地の開かれたるを觀るべし。希臘哲學者の見地及び其の見地に從へる以後の一切の說に於いては凡べて吾人の知識の對境は外より與へられ吾人の知識は其を寫映するに外ならざるものの如くに考へたりしがカントに至りては一轉して知識の對境其の物が吾人の知識力なる心作用の所造に外ならずと見るに至れり。以爲へらく、事物を知識すといふは已に成り上がれるものを恰も鏡面に映すが如くに