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るものと云はざるべからず。此のゆゑにカントに取りては遍通的及び必然的といふことは先天的といふことと離れず、先天的といふことは心性的といふことと離れず、而して心性的といふことと客觀的といふこととは亦相離れず、故に斯かる意味にての心性的を主觀的と云へば其の意味にて謂ふ主觀的はまた客觀的といふべきものなり。感覺は此の意味にて客觀的なりと云はるゝこと能はず。以上論じ來たれる所によりて吾人は次ぎの如き結論に達す、曰はく、時空は經驗上實在を有するもの(empirische Realität)なり(盖し經驗上の凡べての事物に遍通するものなるをいふ)、されど經驗以外に於いて實在を有するものに非ず、即ち知識の成り立ちより云へば、時空は心上のものTranszendentale Idealität を有するもの)に外ならず。


純悟性の槪念即ちカテゴリー(Kategorie

《經驗上の事物を成すには悟性の槪念の働くを要す。》〔一五〕吾人が經驗上の事物は唯だ其れが時間及び空間に於いて前後し又共在すといふことのみならず尙ほ其れ以上の關係によりて始めて成り立つものなり。而して吾人が自然界と名づくるものは唯だ幾多の感覺が空間に共在し及び時間