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して綜合的判定甚だ多し。純理哲學に於いても此の世界の起原に關する論を初めとして綜合的判定を形づくることが其が學問としての目的なり。

然らば茲に問ふべきは右等の學問に於ける綜合的判定が能く先天的に形づくられ得るか、又其は如何にして形づくらるゝかといふことなり。カントの此の問題に答ふるや先づ如何にして數學に於いて綜合的判定の形づくらるゝかを論じ、次ぎに物理學におけるものの論に亘り、終はりに純理哲學に關するものの論に移れり。(カントは此の第一部の論を『純粹理性批判』の 'Transzendentale Ästhetik' に於いて、第二部の論を 'Transzendentale Analytik' に於いて、第三部の論を 'Transzendentale Dialektik' に於いて爲したり。後の二部を合稱して 'Transzendentale Logik' といふ。此の區別はヺルフ學派の所說に本づけるものなり。)今先づ第一部の論より解說すべし。此の所に於いてカントの論ずる所のものは純直觀の形式なり。


純直觀の形式

《時間空間は先天的直觀の形式なり。》〔一○〕カントが此の第一の問題に對して答ふる所は要するに吾人の事物を