Page:Onishihakushizenshu04.djvu/530

このページは校正済みです

物體其の物といふ槪念には未だ含まれ居らざる重しといふことを持ち來たりて之れを其の判定に於いて綜合すればなり。かゝる綜合的判定が後天的に形づくらるといふは論なきことなり。盖し吾人が一物を經驗したる場合に甲といふ事柄と乙といふ事柄とが其の物に結合し居れりといふだけの事實は認むることを得、然れども其の結合が遍通なり必然なりといふことは後天的には知ること能はず。即ち綜合的判定は後天的に立てらるゝことを得れども後天的に立てたる其の判定は遍通必然なることを得ず。是に於いて吾人に迫り來たる問題は綜合的判定が先天的に立てられざるかといふことなり。若し其が先天的に立てらるゝを得ば其の先天的なるの故を以て其の判定を遍通必然のものと見ることを得べし。故に此の問題を解釋する是れ即ち知識論の問題を解釋すといふべきものなり。而してカントは此の問題を解釋せむとして知識に於ける二要素を分析し其の形式が素材に對する關係を說けるなり。素材即ち多なるものに統一を與ふるものは形式にして而して其の形式の何たるかを硏究せむとするが彼れが知識論上の問題なり、一言にして蔽へば、彼れが知識論の要は知的理性の形式は何ぞやといふ