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以て足れりとす、特に哲學上之れを嚴密に論證する要なしと。されど彼れは尙ほ神の存在を以て吾人の論證し得べきものとなせり。但し曰へらく、槪念の分析を以て神の存在を論證すること能はず、葢し存在といふことは一物の性質たることを得るものに非ず、「存在す」或は「存在せず」といふことは一物に就きて立言し得べき性質を增減するものに非ざるが故に一槪念を分析して其の中より存在といふことを論じ出だすこと能はざるなりと。此の書と同年に出版されたる "Versuch, den Begriff der negativen Grössen in die Weltweisheit einzuführen" に於いてはカントの思想が如何にヒュームのに接近し來たりたるかを看るを得。彼れ論理上の反對と實在上の反對とを區別して曰はく、前者に於いては唯だ一物のに對して其のを云ふに過ぎず、後者に於いては實在する一物に反對して等しく實在する他物の有るを云ふ、故に實在上の反對に於いては兩極共に積極的のもの、但し其を相對せしめたる關係に於いてのみ一を積極的他を消極的と云ひ而して其の雙方の相働くことによりて相沒しあふことを爲すと見るを得ば斯かる積極消極の意味にて物體の界限を反撥牽引二力の平均したる所と見るを得るなり。此の論理上の反對と實在上の反對