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ニヒスベルヒの大學に入りて哲學、數學及び神學の講義を聽き此の大學に學べる間彼れは殊に數學及び哲學を好み此處にてニュートンの物理學上の知識を得尙ほ廣く自然科學上の硏究に其の心を用ゐ而して哲學上は當時一般に行はれたるヺルフ學派の思想の裡に養はれたり。斯くして彼れが硏究は多くの學科に涉れり。家貧なりしが爲めに大學に在りし間多くは自ら給せざるを得ざりき。大學を卒へて後一千七百四十六年より九年間ばかりは相續いで二三の家に師傳となり其の間の關係により一侯爵の家と相識るに至れりとおぼしく上流社會の交際にも慣るゝこととなれり。一千七百五十五年の冬より彼れは生地の大學に無俸給講師(Docent)として講義を開くことを許されたりしが彼れが爾來講義せる課目には數學、物理學、論理學、純理哲學、道德學及び法理學あり、其の他にも曾て地文學及び人類學を講じ又自然神學及び敎育學をも講じたり、且つ一たびは金石學の講義をも爲せりと思はる。彼れは曾て數學及び哲學の員外敎授の椅子を得むとしたれども會〻此の椅子の廢せらるゝに遭うて其の目的を達すること能はず、一千七百五十八年には論理學及び純理哲學正敎授の椅子の空しくなりしことありしも是れ