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し行くものなりといふに在りて、此の思想を廣く實際に應用せるもの是れ即ち彼れが敎育上の意見なり。彼れがルソーの思想に喚起せられたる所あるや明らかなり。

《啓蒙思潮と歐洲近世哲學の中心點カント。》〔一〇〕以上揭げし獨逸に於ける啓蒙時代の學者の多くはカントと其の時を同じうしたる人々にして且つカントが其の新見地を發表したる時には彼等の中には之れに向かひて攻擊を加へたるもの多かりき。カントは其の時代より云へば、啓蒙的思潮の盛んなりし時に遭遇せるのみならず實際彼れ自ら件の思潮の影響を示し居る所あり、啻だ其の思想發達の初期に於いて然りしのみならず其が特殊の立場の成り立ちたる後に於いても猶ほ啓蒙時代の思潮の痕跡を止めたる所あり。されど彼れは其の哲學組織の成り立ちに於いて在來の哲學思想の潮流を一轉せしめて茲に哲學界の新時期を開き出だしたるがゆゑに彼れを以てこゝに至るまでの歐洲に於ける哲學の發達を結束せるものと見做し得べきと共に又其の以後に於ける新潮流を開き出だしたる者といふべし。是を以て哲學史家或は彼れを呼んで歐洲近世哲學の中心點とする者あり、而して其の中心點たる所以は