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びライプツィヒの兩大學に於いて始めて獨逸語もて講義を開きたるクリスチアン、トマジウス(Christian Thomasius 一六五五―一七二八)なり。彼れに從へば、哲學は世界に關して一般に解せらるべき有用なる知識を與ふるものなり。彼れが論述の法は組織的に推理することに重きを置かずして寧ろ平易且つ輕快ならむことを力めたり。此の點に於いて彼れが論述の力はヺルフ學派のと異なれり、されど其の述ぶる所の趣意に於いては偏に吾人の知解に訴へて明白にし得ることの外を悉く排斥したるが爲め幽玄飄逸の趣味に乏しかりき、是れヺルフ學派の唯理說より來たれる自然の結果なり。彼れは其の學說に於いては折衷的にして最も心を道德論に用ゐ又宗敎に於いては寬容の精神を唱道しき。又彼れは自然科學上の知識を有すること少なかりしかども其の代はりに社會制度の種々の獘害に向かひて批評を加へ且つ當時一般に行はれたる種々の迷信及び其の他頑冥なる思想に基づける諸〻の惡獘を攻擊することに其の力を致したりき。此等の點に於いて彼れの學說は十八世紀の獨逸の啓蒙的思潮に於ける殆んど凡べての重要なる要素を含めるものと云ふべく、彼れが該思潮の先驅者と稱せらるゝは此の故なり。