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るなり。彼れはヺルテールに向かひ此の感情を言ひ現はして「汝は現實に樂しまむとし我れは希望を懷く」と云へり。ルソーは斯くして宗敎の根據を世界の成立を考ふる上に置くよりも寧ろ吾人各自の感情的生活の上におけり。彼れが感情を以て世界に對するや名狀すべからざる思ひを其の胸中に湛へたりしが、彼れに取りては是れやがて宇宙の神に對する宗敎的感情を成しき。彼れは自ら當世紀に於いて神を信じたる唯一人なりと云へり。彼れ尙ほサヺアの牧師をして言はしめて曰はく、「汝の心をして常に世に神の在らむことを欲する底の狀態に在らしめよ、然らば汝は彼れの存在を疑ふことなかるべし」と。之れを要するに、ルソーが宗敎上の信仰は其が感情の要求に根據したるものなり。

ルソーは上に描きたる所に基づき自然宗敎を取りて敎會的宗敎を捨てたり、而して自然宗敎は彼れに取りてはやがて基督敎の心髓といふべきものなりき。盖し彼れは基督敎に於ける道德上の敎を以て其が精神と認めたるなり。

彼れはまた吾人の良心を以て直接に吾人の行爲の誤らざる指導を爲すものとし、また利益主義の道德說に反對して吾人の自然に有する仁慈及び正義の念を說き、