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を有する物質が複雜なる結合を爲し動物となるに至りて感覺はこゝに始めて有意識的のものとなる、而して吾人の一切の思想は感覺より成り立つものなり。

ディデローはこゝに自ら一の非難を提出して曰はく、斯く物體の微部分其の物に各〻精神作用の具はるありとするも、其等が相集まりて如何にして一個體を成し意識の統一を來たすかは頗る考へ難きことなりと。彼れは宇宙に存在する凡べての物は活動する一全體を成し一つの生命が其の凡べての部分に通ふと考へたり。斯く一の微部分が他の微部分に相接して其の間に同じき生命の相通ずと見て而して幾分か之れによりて精神上の統一を考へたるかの如く見ゆ。

〔二八〕彼れが宗敎上及び哲學上の思想の變じ行けるに伴ひて道德上の思想も亦均しく變化をなしたり。彼れは初め吾人は自然に是非の念を具へ居る者なりと考へたりしが後に至りては是非善惡を判定する道德心も亦本來吾人に具はれるものに非ずして寧ろ微少なる多くの經驗を結合して成れるものなりとし、以爲へらく、吾人が或事柄を是非する時に當たりて其が動機となるものは多くの經驗より來たりて今は唯だ其の動機の各〻を意識することを爲し居らざるなり、道德