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なり。さらば正義と云ひ仁愛といふ是れ亦畢竟利益の觀念の上に建てられたるものなり。

《エルヹシユス其の著書の爲めに國を去る。》〔一六〕當時倫理說上自愛說を唱へたる者には有名なる數學者にして純理哲學上は懷疑に傾けるモペルテュイ(Maupertuis 一六九八―一七九五)及び尙ほ他にも多かりしかども、そを最も明瞭にまた最も大膽に唱へ出でたるはエルヹシユスなり。一千七百五十八年に彼れの著 "De l'esprit" の出版せらるゝや物議囂然巴里の大監督、羅馬法王、及び巴里府の議會は皆之れを禁制したり。これが爲めに彼れは且らく外國に逃れざるを得ざることとなれり。後彼れは當時手を廣げて如何なる種類の文學者及び哲學者をも招致したる、而して自ら哲學的硏究に心を用ゐて道德上は利益主義を唱へたるフリードリヒ大王の朝廷に行きて其處に滯留せしことあり。エルヹシユスは天性優しきに過ぐるほとに善心に富める人にして其の財產及び所得を抛ちて公共事業の爲めにすることに躊躇せざりき。

《啓蒙時代に於ける一の特殊なる信仰、エルヹシユスの政治改良論。》〔一七〕エルヹシユスの唱へたる所は哲學上堅固なる推理を以て其の步を進めたるものにあらずして其の論の調子には寧ろ輕浮なる所あり、徂しこは啻だ彼