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物質との外に別に精神的實體を置く必要なしとせり。又彼れはロックが神が物質に賦與するに感覺てふ精神作用を以てしたりと考ふることも能はざるにはあらずと云へるを取り來たり之れを根據として物質其の物に精神作用の具はるが如くに考へたり。されど彼れは物質其の物の何たるかは吾人が精神の何たるかを知り得ざると同じく知り得ざる所なりとせり。啻だ然るのみならず彼れが其の哲學思想を世に普及するに與りて大に力ありし "Dictionaire philosophique portatif" 一千七百六十四年出版)に於いて言へる所によりて察するに、彼れは精神をもまた物質の存在をも永恒なるものと考へたるらしく、換言すれば、一實體が永恒に物體的性質と共に精神作用を本具せる如くに見たりと考へらる。されば彼れの說ける所は唯物論と云はむよりも寧ろ一種の物活說としも云ふべきものなり。以爲へらく、物質を以て無始無終なるものとすとも之れが爲めに毫末も宗敎の毀損せらるべき筈なしと。またヺルテールは初めには意志の自由を主張するに力めたれど其の晚年に至りては漸次に懷疑的傾向を增し來たれり。之れを要するに彼れには哲學上特に創見ありといふにはあらず、また其の所說に深邃なる所ありし