Page:Onishihakushizenshu04.djvu/388

このページは校正済みです

ものと云ひて可なり。彼れ以爲へらく、道德上最も重要なることは吾人が他人の行爲の結果に對してよりも寧ろ其の行爲を來たしたる感情に對して直接に同情する點に在り、他人の情を思ひやりて其をよしとするは吾人が其の情に同情すると一なり、道德上如何なることを是とし若しくは非とすべきかを尋ぬれば吾人が其を見其の情に同じて左もありなむと思ふか又はしか思はざるかといふことに在り。吾人が一行爲を見て其が道德上に於ける功德(merit)を認むるは一つには其の行爲を爲したる者の情に直接に同情して其をしかあるべきことと思ひ又二つには其の行爲によりて益せられたる者が益を與へたる者に對して有する感謝の情に間接に同情すればなり。

斯くして吾人は常に他人の心情に同情を表し道德上其の行爲を是非すると共にまた自己の行爲の他人に是非せらるゝことを經驗しまた自然に自己自らが且らく他人の位置に立ちて自己の心情に同情し得るか否かを考ふるに至る、而して若し同情し得れば自己の行爲を道德上是とし、同情し得ざれば之れを非とするなり、此の心是れ即ち良心(conscience)なり。故に良心は自己が假りに公平なる傍觀者の