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れども其等道德上の規律は是れ亦神の吾人に與へたる法則にして(而して件の道德的法則は國法とも異なり、また毀譽褒貶に基ゐする社會の習慣上の規定とも異なりて自然の法則ともいふべきもの也)吾人が之れに從ひたると背きたるとによりて神は吾人を賞罰するものなり。即ち吾人は理性によりて道德の法則を知識するものにして而して其が實際吾人を動かす制裁力を有するは神の意志によりて其の法則に賞罰の附加せらるゝがゆゑなり。

ロックは一般の利福といふことを重んじたれども之れを最高の目的とし之れを根據として凡べての道德上の規律が立てらるべしとは明らかに言はず、寧ろ一般の利福といふことより考ふることをせずとも其れ自身に明瞭なる幾多の道德上の規律ありと考へたり。公共の利福(common good)を以て明らかに最高の道德法となしまた此の道德法を以て自然の法則(law of nature)と見たるはロックに先きだちて其の著 "De Legibus Naturae" 『自然法』をものしたるカムバーランド(Cumberland 一六三二―一七一八)なり。彼れは又ロックと同じく其の謂ふ道德法を以て神の與へたる規律なりとし、而して吾人がそれを守り或は破ることには神の加ふる裁制を以て