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ューム自らは證言の誤れることが奇蹟其のものに勝りたる奇蹟と見らるべきほどに確實なる證言は提出され難しと考へたり。

斯くヒュームは其の著『宗敎自然史』("Natural History of Religion")に於いて宗敎の歷史的發達を論じたり、而して彼れが宗敎の道理上の根據を論じたるは其の著『宗敎對篇』("Dialogues on Religion")なり。此の對話篇に於いて彼れは一方に在りては世界に現はれたる調和秩序より推して其を偶然に出來たるものに非ずとし智惠ある造化主の存在を信ずることの全く理由なきことにあらざるを說くが如く見ゆると共に又他方には之れに對して幾多の非難の點を揭げたり。曰はく、世界には調和あり秩序ありとするも其が意匠の原因は世界以外に在らずして其れ自身の中に存在すと見られざるに非ず又恰も器物を幾度も造り直して後終に美麗なるものを出來でかすが如く宇宙はそれ自らに具はれる作用によりて幾度も形成し破壞したる後漸く現に見る如き秩序の成りたるものなるかも知るべからず。且つ又有意の作用は唯だ吾人の如き限りある者の作用として實驗するに止まるのみ、其を直ちに宇宙全體に及ぼして宇宙が心意あるものの活動によりて出で來たれるが如