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トの所說とは敢て相反せるにもあらざりきと考へらるゝが彼れとは異なりてデイストに對して神學上正面より攻擊を加へたる者當時甚だ多かりき。監督バークレーの如きも大にデイストを駁擊せる一人なり。盖し彼れの宗敎心の深厚なりしやニュートン及びデイスト等と共に神と世界との關係を考へて恰も時計師の時計に於けるが如く見るを以て滿足せず、○(彼れが唯心論に於いては神と吾人との精神の間に物界を置かず)更に直接に更に深邃なる關係の神と世界及び吾人との間に存することを主張せり。

デイスト等の所說に對する反對論は頗る多かりきと雖も、思想上特に吾人の注意を價するは監督バトラー(Bishop Butler)が其の名著 "Analogy of Religion Natural and Revealed to the Constitution and Course of Nature" (一千七百三十六年出版)に論じたる所なり。彼れ論じて曰へらく、天啓の宗敎(即ち通常敎會の敎ふる宗義)に向かひて提出し得べき非難の主要なるものはまた能く自然宗敎の信仰に向かひても提出せらるべし。人或は神が救はるべきものを選び而して其の選擇に漏れたる者は永久の刑罰を受くといふを以て非理なることとなさむ。然れども此くの如きは自然界に