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七四七)は身を職人の社會に起こして一千七百三十八年に『基督の眞福昔』( "True Gospel of Christ")を著はし其の思想を彼れが同業の仲間に擴げデイスト運動をして一般人民の中に入らしめむと力めたり。蓋しデイズムは其の初めに當たりては或一部の學者間に唱へられたるに止まり殊にトーランドの論の如きは學者的なるを失はざりしがチョップに至りて大に通俗的運動となりて其の所說を一般人民の間に傳播せむことを力めたるなり。

かくデイストが其の思想を一般人民の間にまでも布及せむとするに至るやロールド、ボリンブローク(Lord Bolingbroke 一六九八―一七五一)は之れを非とせり。但し彼れ自らは凡べて敎會の造り設けたる敎義を以て唯だ哲學的空想に出でたるもの又は僧侶の假構に起因したるものと考へたれども其は須らく唯だ有識の人のみの懷くべき見識にして一般人民に敎ふべきものにあらず一般人民には宜しく通俗の敎會的宗敎を敎ふべきものにして是れ即ち彼等を治むる正當の途なりと考へたり。

《デイズムに對する反對論、監督バトラーの說。》〔七〕ボリンブロークはデイストを駁擊したれども彼れ自身の信仰とデイス