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ぬものとなるといふに在るを以て其の說を名づけてポジティヸズム(positivism)と云はば或は最も適當なる名稱ならむか。

《ヒュームの所說中更に考究を要する點。》〔一二〕以上叙述し來たれる所を顧みれば吾人はヒュームが思想の銳利なることを承認せざるを得ず。先きにロックによりて揭げられたる經驗主義の思想は彼れに於いて始めて其の最も單純なる又大膽なる結論に到達したるものと云はざるべからず、而してこゝに其の止まるべき所を發見する哲學者も少なからず。兎に角吾人の知識をこゝに止まるものとなし、其の範圍以外には吾人の正當なる知識と云はるべきものなしと考ふるは一種の哲學上の思想としては有力なるものと云はざるべからず。然れどもヒュームの哲學を細思すれば吾人の思ひ起こさざるを得ざる幾多の疑問あり、而かもヒュームは此等の疑問の解釋を試みることを敢てせざりき、彼れが意盖しこれを吾人の知識の到底解釋し得ざる所として其の說明を思ひ止まれる也。彼れが所說に就いて吾人の更に問はざるを得ざることは、第一に彼れの謂はゆる印象の起原なり。彼れは印象の起原に就きては更に論究することを爲さざりき。以爲へらく、吾人は到底印象を起こす所以の窮極原因を