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することをも許し居るものから吾人が心理上何等かの規則を立てゝ觀念の相結合する所以を說かむとするに於いては聯想律の外に吾人の由るべきものなしと考へたるなり。斯くしてヒュームはロックが說ける如く知力其れ自身の作用によりて吾人の觀念を結合せしむといふ代はりに觀念相互の間に存する聯想律上の關係を持ち來りて觀念以外のものに假る所なしと說けり。是れまさしくロックが觀念を根據として心理及び知識論上の說明を爲さむと試みたる立塲より出立して當さに到達すべき結論に達せるものなり。

《本體論、本體は觀念の連續に外ならず。》〔七〕上に述べたるヒュームの論據より考ふれば本體といふ觀念が如何なる運命に遭遇すべきかは見るに難からず。本體てふ觀念に於いては其が內容となるものを何等の印象の中に發見し得べきか。ロックも已に云へる如く本體其の物は吾人の知識せざるものにして其の根據となるべき印象は何處にも存せざるがゆゑに其れに應ずべき實在といふべきものなし、何となれば實在といふは前にも云へる如く要するに印象の强く活きとしたる所に名づけたるものに外ならざればなり。一言にして云へば、本體といふものは實に存在するものに非ず。