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斯く直覺的に確實なるものとして知覺さるゝが是れ即ち其れが事實として存在するなり。

印象の時空に於ける隣接的關係の直覺さるゝのみならず印象の類同といふことまた確實に吾人に知覺さるゝものなり。例へば一の紙の色と他の紙の色とを見て其の色を相似たり或は相似ずと認むるは是れ異同の印象とも名づくべきものにして一種の印象なり(ロックの語を以て云へば內官より來たる觀念に屬すべきものなり)、而して此等異同の印象がまた吾人の知識を形づくる要素となるなり。之れを要するに吾人の知識は印象を以て出立するものにして、而して印象を以て出立する所に於いて時空に於ける隣接と其の印象の類同とはおのづから吾人の知識內の事として含まれ居るなり。

《聯想論、三個の聯想律。》〔六〕ロックが吾人の知力の作用を云ふや本來吾人の所動的に得たる種々の觀念をば件の知力作用を以て能動的に結合せしむるが如く說きしが、ヒュームは特に知力の作用と名づくるものを要するを說かず、觀念の結合を以て全く觀念相互に相喚起し來たる關係に歸せしめたり。是れ即ち謂はゆる聯想の規則にして、