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觀念をも含む。斯く印象と想念とを別かつものから想念は印象の摸寫なれば吾人の心に於ける凡べての觀念の淵源は畢竟一なりといふべきなり。印象より來たるものの外に吾人に觀念の內容なし、想念に思ひ浮かぷるものの何たるかを尋ぬれば曾て印象として心に覺したるものより取り來たる外に其の淵源あるべからず。故にヒュームは吾人の心作用に就きて印象、想念の二つを別かてど其の差別は畢竟其の强さ(force)と明らかさ(vividness)との差異に歸すとせり。彼れ以爲へらく、或少數の塲合に於いて想念は印象と區別され難きほど强くまた明らかなることあり、又印象は想念と區別され難きほど弱く且つ不明瞭なることあり、されども通常此の二つは吾人の惑ふことなく區別し得る所なりと。
《印象はあらゆる知識の基礎なり。》〔四〕かくの如くヒュームは凡べて吾人の知覺する所のものを印象及び觀念(即ち想念)の二つに別かち、後者をば要するに其の內容を前者より得るものとなし、而して此の心理上の見によりて其の知識論を爲したるにより、凡べて吾人が有する知識の價値は吾人の思ひ浮かぶる所が如何なる根據を印象に有し居るかによりて定まると考へたり。語を換へて言へば、一見極めて抽象的なる觀念も其の本