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個々の相を具へたる性質とは別にして其の性質を具有するものといふが如きは最も甚だしき抽象的觀念にして、吾人の心を反省すれば實際其の如きものの吾人の觀念中に入り來たることなし、吾人の實際思ひ浮かべ得る所は種々の性質の結合に外ならず。例へば此の一脚の机につきて云はば、其の形、大さ、重さ、色等の一切の性質を取り除きて而して後に何の殘るべきものあらむや。知るべし此の一個の机といふは畢竟其等の性質の相結合するに外ならざることを。而して其等の性質は凡べて吾人の觀念なり、故に個々物は畢竟ずるに觀念の結合なりといふべし。

《觀念以外に物體なし。》〔六〕かくの如くバークレーが本體といふ觀念を打破したるは專ら物質的本體と名づけらるゝものに就いて云へるなり。物體を何ぞと問へば形を具へ空間を塡充するものと云ふ外なく、而して其等物體の性質は吾人の觀念に外ならざるがゆゑに、吾人の觀念以外に其の觀念とは異なりたる物體の存在することは承認すべからざることなり。是に於いてロックが吾人の感官を以て確實なりとはいふべからざれどもなほ外物即ち物體の存在を知り得と說きたるところ亦バーク