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て空間上に於ける物體の一切の狀態も凡べて吾人の主觀的に思ひ浮かぶるものと見ざるべからざればなり。ロックが第一及び第二の性質を說きて唯だ吾人の目もて感ずる色等は主觀的なれども廣がりを有し遠近を爲すものとして物を見ることは主觀的ならずとせる理由は是に至りて全く破れたり。ロックの所謂塡充性といふものも究竟する所吾人が手を以て物に觸れて障礙を感ずる感覺より來たれる觀念に外ならず。(バークレーに先きだちてはホッブス又オッカム等は第一性質と第二性質とを區別せざる方に近より、デカルト及び古くはデーモクリトスはこれを區別せるものと見るべく、而してロックは此の後者に從へるなり。)斯くの如く空間的關係は吾人の視覺を以てする感覺と觸感との結合によりて生ずるものに外ならずロックの語を假りて云へば一の複雜觀念に外ならずといふバークレーの結論は、ロックによりて始められたる觀念の硏究を其の當さに行くべき所に持ち來たれるものと見ざるべからず。第一性質及び第二性質の區別を毀却し去りて其等を凡べて吾人の心に思ひ浮かぶる觀念に外ならずとなし、觀念ならぬ物の存在すといふことの證據は其の中より得べからずと見たる所、是れ即ちバ