Page:Onishihakushizenshu04.djvu/258

このページは校正済みです

見よ。)斯く本體に就きては其の何たるかを言ひ得ざれどもなほ吾人は種々の性質を具有せるものとして其を考へざるべからず。吾人は種々の物體上の性質を具有するものありとして茲に物體的本體を考へ又種々の精神上の作用を爲すものあるがゆゑにそこに精神的本體を考ふるなり。されどロックはその物體といひ精神といふものの本體の何たるかは吾人の知り得ざる所なりと思へるよりしていへらく、吾人は吾人の靈魂の如何なるものなるかを審かにすること能はず、故にそを物質なりとも又物質ならずとも斷言すること能はず。盖し造物主が物質に賦與するに知覺等の精神作用を以てしたりとも必ずしも考へられざるにあらず、其等精神作用が他の本體に賦與せらると考ふるに比して其れが物質に賦與せらると考ふるは決して難きことに非ずと。されど尙ほロックの意に從へば、物質に精神作用の賦與せらるといふが如きことは造物主といふ如きものの力に依るとせざれば考ふること能はざる所にして、唯だ物質といふものをのみ思ひては何故に其れに精神作用の具はるかを解すること能はざるなり。盖しロックは猶ほデカルトの二元論を脫し居らざるなり、但し彼れは本體といふものの存在を否ま