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たれども其の攷究の方法は專ら演繹的なりしが故に彼れの哲學は寧ろ一種の究理派學說たるの趣を帶びたり。彼等の後に出でて最も明らかに實驗哲學の建設を爲さむと力めたるをロックとす。故に或は彼れを名づけて歐洲近世哲學に於ける經驗學派の開祖ともいふ。但しロックの說ける所は經驗主義に基づけるものとは云ふものから委しく考ふれば尙ほ彼れの思想には究理學派に在りてのみ許し得べき假定を含有する所少なからず、殊に其の思想の明らかにデカルトの哲學に影響せられたる所あるを認めずんばあらず。されど大體上先づ最も明らかに經驗哲學を唱へ出でたる者は彼れなり。經驗主義に基づきて考ふれば未だ彼れの所說に滿足する能はざる所あること、是れ爾後此の學派發達の動機たりしなり。

《ロックの生涯、著作、性行。》〔二〕ヂョン、ロック(John Locke)は一千六百三十二年八月二十九日を以て英國ブリストルの邊りウリングトンと云ふ邑に生まる、父は法律家にて彼の內亂の起これるに際してはパリメントに黨與したり。ロックは一千六百五十二年オックスフォルド大學に入りしが當時尙ほ其處に說かれたりしスコラ哲學風の思想に