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明せむには目的觀を持ち來たらざる可からず、即ち世界の存在するに宜しき目的のあるが爲めに此くの如く機械的關係を以て變動する物界ありと考ふるより他に之れを了解する道なきなり。

世界の存在する目的は畢竟ずるに其が圓滿の相を現ずることに在り、換言すれば、其れが最も完きものなるが故に存在するなり、而してヺルフは物の完きといふことを說きて多なるものの一致なりと云へり、盖しライブニッツの所謂調和と完全とが同一にせられおるものに外ならず。

《ヺルフの學說とライブニッツ。》〔五〕空間に廣がれる形を有する物體は是れ即ち吾人に現はれたるさまphenomena substantiata)にして其の眞實の相は廣がりを有するものに非ず。其の眞實の相は個々の力にして其の一々は凡べて單一なるもの也、ヺルフは之れを活力と云へるのみにて凡べて其れに想念する力の見はるてふことを說かず、故に彼れはライブニッツの用ゐたりしモナドといふ語を用ゐることを避けて寧ろ多く自然原子(atomi naturae)といふ語を用ゐむとせり。此の所ヺルフがライブニッツの說より離れたる最も著るき點なり。彼れに取りては想念する力あるものは唯だ吾人の有