Page:Onishihakushizenshu04.djvu/228

このページは校正済みです

かに演繹的のもの、又槪念的のものと爲したるなり。斯くの如くヺルフに從へば、哲學の硏究は種々の事物を經驗し其の經驗に基づきて攷究を進むるものに非ずして先づ吾人が心を以て形づくれる根本的槪念より出立して演繹的に進み行くもの、而して是れ彼れに於いて唯理學派の攷究法が經驗學派に對して最も極端の位置に達したる者と見らるべき所なり。ヺルフは斯く哲學硏究を以て專ら演繹的のものと見たりしが彼れは又其の傍らに經驗上の事柄を取り扱ふ學問をも置き、槪念の推究を以て進み行くものと經驗的事實を蒐集し行くものとの二者はおのづから相並び行くものなりとし、又眞實の學問に於いては前者は後者によりて實例を供せらるゝものなりとせり。此の故に彼れがコスモロギアに於いて物理の論を爲すに方たりては其が出立點となる槪念より論理的に其の凡べての知誡を演繹するものの外に實驗的(experimental)に攷究しゆく物理學をも置けり。彼れ以爲へらく、物界に生起する一切の現象は物體を組織する細微分子(corpuscula)と其の運動とによりて起こり來たる。而して物理學には此の二者に關する槪念より出立し、經驗を待たずして物理的に造り上ぐるものと物界の經驗を多く蒐集しゆ