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上の明瞭なる知識なりと。斯くライブニッツの所說は道德を言ふ上に於いても、學理的知識をいふ上に於いても、又觀美的品評を爲す上に於いても、其の根本的思想とする所は調和といふ觀念なり、而して所謂調和は其の圓滿完全てふ觀念と相離れざるものにして是れ彼れが哲學全體を貫徹する思想なり。ライブニッツは人と爲り調和を好めり。

《ライブニッツの宗敎論。》〔一五〕宗敎論に於いては彼れは當時敎會の唱へたる敎義を辯護せむと力めたり、某の著『テオディセー』はベールに對して論じたるもの也。ベールは宗敎上の敎義は道理に合はざることを言へり。ライブニッツは答へて曰はく、其等敎義は悖理のものに非ず、そは悖理とは論理上矛盾を含むか又は理由則に逆ふの謂ひなれど、敎會が唱ふる敎義は決して論理上矛盾を含むものに非ず、また理由則に逆ふものとも云ふこと能はず、凡べての物の存在する理由は窮極すれば世界の全體の目的に存するものにして、種々の事物は畢竟件の全體の目的如何によりて生じ來たるものなるが故に奇跡の如きも是れ亦理由則に逆ふものに非ず、其れが生ぜらるべき十分の理由ある所に生じたりと見ることによりて其の毫も怪しむ可きも