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すべきものなり。一人として其の氣質性情の全く他人と同一なるもの無し、而して此等の不明瞭なる幾多の想念の相集結せるものが各個人の氣質の差別を成すは恰もモナドとモナドとの差別が其れの活動の制限さるゝ方面(即ち想念の不明瞭なる所)あるによりて起こるが如し、盖し其の活動の制限さるゝ所(prima materia)是れ即ち個別の原由(principium individuationis)なり。恰も運動は其の全く無かりし所より起ること無く唯だ微小なるものの增大し行くに外ならぬが如く吾人の想念も亦全く無き者の生ずるに非ずして本來の心性に具はれるものが其の漠然たる無意識の狀態より漸次に明瞭になり行くに外ならず。而して明不明の度によりて其等吾人の想念を大別すれば、大凡そ三段と爲すことを得。其の最下等に位するは上に謂へる漠然たる體機感の如き者にしてライブニッツは此等を名づけて微小感覺(petites perceptions)と云へり。次ぎなる段階は意識を以て俘はれたる感覺(sentiment)にして例へば視聽の感覺の如きもの、此等は能く更に分析して其の定義を下して他人に示すこと能はざるもの、簡に言へば尙ほ未だ判然たらざるものなり。更に上れば想念が最も明暸なる意識を以て統一されたる狀態に至る、是れ即