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中に在りておのづから一大特色を帶びたる組織となれり。

其の論理的歸結の萬有神說となる困難を免れむにはデカルトの思想に就いて何れの點を變更すべきか。ライブニッツ以爲へらく、先づ實體(又は本體)てふ觀念を變更せざる可からず、本體を以て不變動にしてなるものと見る是れ即ち萬有神說に陷る所以なり、本體は靜寂なるものに非ずして寧ろ活動する力と見るべきもの也。何物か實在する。曰はく、物は活動することによりて存す、自ら活動すること無くして物の存在すと云ふことなし、働かざるもの即ち存在せざるものなり(quod non agit, non existit)、而して其等の活動する力は數多あるものにして其の各〻が即ち實在の單元と謂はるべきもの也と。即ちライブニッツはスピノーザの萬有神說に對して活動說及び多元說を取れる者なり。

然れども彼れは決してデカルトの云へる本體てふ觀念を捨てたるに非ず、唯だ其を活動する力と見たる點に於いて該觀念を改めたるのみ。謂ふところ力は自然に生じ又自然に滅するものに非ず、唯だ不可思議なる妙力を以て創造せられ或は消滅せしめられ得るのみ。又そは各〻一にして分割す可からざるもの、又相互の影