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於ける)に重きを置く傾向を有せるものなり。デカルトに起こりし究理學派の潮流と相對して近世哲學變遷上の二大勢力を成せるものと云ふべきは經驗學派の潮流なるが、此の潮流の淵源は專ら英吉利に發したりき。盖し近世學術の源頭に立ちて先づ最も明らかに自然科學に於ける實驗的硏究の必要を唱へ出でたるはベーコンなれども正當に經驗哲學の祖と云はるべきは寧ろスピノーザと同年に生まれたるロックなり。而してロックの哲學がスピノーザの哲學に對して大に相異なる趣を帶びたるが如くまた他の方面よりしてスピノーザの哲學と大に相異なる趣を帶びたる一大組織あり。是れ即ち少しくスピノーザ及びロックに後れて出でたる、しかも其が所說の要旨はロックのとは全く異別に、獨立に成し上げられたるライブニッツの哲學なり。ライブニッツの哲學はスピノーザの哲學とは大に其の趣を異にすれども、また等しく一種の形而上學的組織にして此の點より見れば彼れを以て究理學派の流れに屬する者の一人と見做し而して之れを經驗學派の潮流に屬する者と區別することを得。盖しロックが知識論を以て其が哲學の出立點となし又其の主要の部分となしたると、ライブニッツが大膽なる形