Page:Onishihakushizenshu04.djvu/177

このページは校正済みです

せざることを論じて忌憚する所なかりき。以爲へらく、宗敎上の信仰は必ずしも道理に合ふものに非ず、されど其の然るに拘らず、否寧ろ却つて其れが道理に合はざるの故を以て信ずべきなりと。彼れはまた世に存する善惡の問題を取り來たりて、道理上より考ふれば善なる一神が世界を造れりと云はむよりも寧ろマニカイ宗の主張したるが如く善惡の二元を說くかた考へ易しと論じたり。

かくの如くベールは哲學上の學說及び宗敎上の信仰を批評して其の中に存する矛盾の點を發見するを好みたりしが唯だ彼れの取りて確實なるものと爲したるは吾人のなべて有する道德心の指示なり。以爲へらく、品德は宗敎上信仰の如何に懸かるよりも寧ろ各人の生具し居る性質に因る所多し。吾人は宗敎上若しくは理論上に如何ばかり相異なる思想を有すとも世間に行はるゝ道德的襃貶に關しては皆おのづから相一致する所あり、故に國家は能く無神論者を以ても組織することを得べし、啻だ然るのみならず世間の道德を實行せむには却りて宗敎に於いて稱揚する所に反せざる可からざる如きことあり。此くの如く行爲の實際に於いては明確なる道德的判別ありて如何なる宗敎上の天啓も之れと撞著すべき