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たるものなり。佛人ブレーズ、パスカル(Blaise Pascal 一六二三―一六六二)に於いては件の神祕的傾向は稍〻獨立のものとして認めらる。彼れはポール、ロアヤルの一人にしてデカルト哲學の影響を受けたれども專ら宗敎的神祕說に立脚したり。彼れはまた當時の有名なる數學者の一人にして數學を以て吾人の有する唯一の確實なる知識と見たり。されど彼れは數學によりては吾人は事物の全體を究むること能はず、而かも全體を知らずしては眞實に部分をも解すべからずと考へ、哲學上には寧ろ懷疑的傾向を取り、而して最後の立脚地を宗敎上の信仰に求めたり。以爲へらく、吾人の道德的觀念も、又數學に於いて吾人が理性の立つる所の原理も、又神を信ずる心も、畢竟ずるに吾人が心情の感ずる所に基づくものにして吾人の思考を以て證し得べきものに非ず、眞正に吾人を導くものは感情なり、信仰なりと。
《ジョセフ、グランヸルの懷疑說。》〔二〕英國人ジョセフ、グランヸル(Joseph Glanville 一六三六―一六八〇)亦哲學上懷疑說に傾き宗敎上の信仰に安居をもとめ、デカルト學派の唯理說を攻擊したり。彼れは又ホッブスが因果の關係を知ることを學術硏究の目的となせるに對して、因果の關係は吾人の經驗の能く認むる所にあらず、吾人の經驗する所は唯だ