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なり。されど此等の二者は共に事物を其の出沒變化する差別の方面に於いて見ず、個々獨立の存在を有するものとして見ず、其を然らしむる永恒の實相に於いて之れを見ることに於いては同一なるを以て之れを合して一言に理智といふも可なり。故にスピノーザは二者を合はせ名づけてインテレクトス(intellectus)とも云へり。理智は共通觀念(notiones communes)を以て働く、換言すれば、吾人の理性が根本的觀念即ち原理(fundamenta rationis)として用ゐるものを以て働く。謂ふところ根本的觀念に屬するものは例へば無よりは何物をも生ぜずといふ因果の關係を言ひ表はす原理の如きものにして此等の共通觀念は前にスピノーザが差別見に屬すと云ひし抽象的槪念とは全く相異なるものなり。

スピノーザの推理的知識及び直觀的知識を說くや其の兩者の差別甚だ明瞭ならずして或は殆んどそが區別を立て難き樣なる語をさへ用ゐたる所あり。されど大體より云へば、差別見、推理智及び直觀智の三段を以て有限の樣狀(natura naturata particularis)無限の樣狀(natura naturata generalis)及び本體(natura naturans)の三段に應ずるものと見て不可なかるべし。