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ひながら、その本性に基づきて自由の發達を主張せる點に於いて大に其が特殊の趣を發揮し來たれり。
《知性と意志との關係。》〔一六〕スピノーザの說ける所には、しかくホッブスぶりなる自然論的要素の存すると共にデカルトに淵源する主知論の要素の結ばり來たれるが爲めに茲に一種特殊なる趣を具ふることとなり、又之れが爲めに彼れの說く所に於いて彼れ此れ相合し難き點の存するあるを看る。彼れが知性(intellectus)と意志(voluntas)との關係の論の如き其の一例なり。スピノーザが自然論の立脚地に在りて心理を說く所に於いては所謂意志は吾人の根本性たる自衞の求めと異別なるものに非ず、而して知性の意志に對する關係を說くや知性の作用が意志の作用に從ひて動くが如く說ける所あり。彼れ曰はく、吾人が一物を求め、欲し、望み、意志するは其を善しと思ふが故にはあらず、寧ろ吾人が其を求め、欲し、望み、意志するが故に其を善しと思ふなりと。彼れが此の言によりて見れば、其の意、吾人の知性が善惡の區別をなすは畢竟吾人が意志の定むる所に係かるといふに在り。されど彼れは其が最初の著作と稱せらるゝ書("Tractatus(brevis)de Deo et Homine ejusque Felicitate")に於いては