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起こるに伴ふ吾人の身體に於ける即ち物質上の變動との關係を提起し來たり、後者即ち心理上の關係の意味にて心と物相應ずと說きて、却つて知識論上の關係を遺却せる傾きあり。彼れは心理上の意味にて吾人の心は身の觀念(idea corporis)なりといへり。心は身の觀念なると共に其の觀念を自識するものなるが故に此の點より觀れば之れを身の觀念の觀念又は心の觀念(idea mentis)と云ふべし。心が身の觀念なりといふ義は身體に於ける物質上の變動が心の方面に於いては念として意識せらるといふ意味に外ならず、是れ即ち今日所謂心理と生理との關係なり。啻だ吾人の身體のみならず、均しく一個體を成せるものには皆心の伴はざること無し、唯だ其の思ひ浮かぶる念の多少及び明不明に幾多の段等の存するのみ。

《機械的說明のみ眞實の物理的說明也。》〔一一〕かく萬物には常に相對し相應ずる心理と物理との二方面あり、而して之れを物理の方面より考ふるもの是れ即ち物理學なり。物理の方面に於いては前にも云へるが如く其の現象は凡べて物體の運動を以て說かざる可からず、故に機械的說明をのみ眞實の物理的說明と見るべきなり。かく說ける點に於いてス