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きを知らず外出してあらざりし間に唯だ其の親友なる醫師マーエル一人に侍かれて靜かに逝けり。

《スピノーザ哲學の淵源、其の數學的硏究法。》〔二〕スピノーザの哲學の淵源に就きては哲學史家の間に種々の異論あれど彼れがデカルトの哲學に汲める所多きは何人も拒否せざる所なり。故に或は彼れを以て先づデカルト哲學の立脚地に在り而して其の後漸々自家の見地を開くに至れる者となせる史家あれど彼れが曾てデカルト學徒と名づくべき位置を取れりしことありしか疑はし。彼れは早くよりジョルダーノ、ブルーノの影響を受けたる所ありと思はる、其が萬有神說の淵源の少なくも一部はこゝに在りしならむ。又彼れが哲學の神祕說的方面は幼少より其の心を潛めたる宗敎觀に原由し(彼れはマイモニデス等の猶太哲學者及びカッバーラに通曉し又後期のスコラ學者の書をも讀めりと思はる)彼れの自然說的方面はホッブス等に負へる所多かるべし。かゝる影響の有りきとは云ふ者からスピノーザ自らの特性が其の說を成せる大動力なりしことは固より埋沒すべからず。約言すれば、思想上萬有神說に至るべき傾向を含めるデカルトの哲學がブルーノの影響を受けたるのみならず當