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べからず、有は唯だ有にして都べて同一不異なり、故に又有は變ずるものにあらず動くものにあらず、平等の自體を保ちて常に靜なり。又思想も有と別なるものにあらず、そは思想さるゝ事柄は有ならざる可からず有ならずば思想さる可からざれば也、即ち思想あらばそは有の思想なり、思想に入りて思想を成すものは有の外にある可からず。故に思想と有とはひとつなり。〈ツェラーはおもへらくパルメニデースは思想と實在とを同一のものと云へるにあらず寧ろ其の言意は思想され得るものも實在し得るものも同一のもの即ち有に外ならず(言ひ換ふれば有のみ思想さるゝを得)と云ふこゝろに解すべしと。通常の解釋に從ひ、パルメニデースが詩句の意味を思想と實在とを同一視するにありとするも思想を出立點として思想の外に實在なし思想是れ卽ち實在なりと言へるにあらざるや明らかなり。〉斯く有は不變不動、平等一如のものなれどもアナクシマンドロスの謂へるト、アパイロンの如く無定限のものにあらず自足完滿の一體を成して他に依ることなく他に待つことなし、無定限なるは未だ自足せず圓滿ならざる所のある也。されば約言すれば有は無始無終不生不滅不可割唯一不二平等一如不變不動にして自足完了せる者、この外にありと云ふべきものなし。パルメニデースは此の自足完了せる有を名づけて一中心點より四圍八方に等しく廣がれる圓滿の球なりと云へり。

《有は全く形而上のものにあらず。》〔四〕以上述ぶる所を見ればパルメニデースに至りて抽象的思想の著るく進