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唯一なる世界を無際限のものと見たりしか否かにつきてはクセノファネースの言明らかならず。彼れが「上にありては空氣、下にありては地根無窮に達す」といへりしより見れば世界を無際限と思ひしやうにも察せられ、又「世界は各方向に同じやうに廣がり居れり」といへりしより見れば彼れは世界を圓球の如く限界を有せるもののやうに考へたりきとも察せらる。惟ふに一は宇宙の廣大無邊なるをいひ、一は蒼空の圓かに見ゆるを云ひしならむ。

《其の一神說の內容。》〔三〕此の如くクセノファネースは全世界を一體と見而してこれを神と考へたりしより察すれば恰も一神說を唱へたらむが如く思はるれど、彼れの一神敎的思想は實際如何なるものなりしかは史家の間議論のある所なり。そも一神敎めきたる思想は多少已に當時の詩人間にも現はれて當時の進步的思想を代表したりしには相違なけれど、しかもこれらの思想は槪ね一の最大の神ありてこれが下に幾多の小さき神々の司配さるゝやうに考へたりし也。クセノファネースは此の點に關しては如何に考へたりしか。史家或は謂ふ彼れは純乎たる一神說を主張したりと、或はいふ否その所說の一神はその詩句に見ゆる如く神々の中の最大なる