Page:Onishihakushizenshu03.djvu/495

このページは校正済みです

《敎會と國家との分離。》〔一一〕宗敎と哲學とが此くの如く全く相分離するに至れると相對してオッカムに於いては敎會と國家との關係も全く其の範圍を異にする者となれり。トマスは敎會を以て國家の上に位してそを全うする者と爲しゝがオッカムは敎會を以て唯だ出世間の事、吾人の靈魂の事のみを司るものとなして曰はく、僧權(sacerdotium)は些も世間を治むる政權に干涉すべきものにあらず、世間を治むる唯一の權は王權(imperium)なり法王は俗世間に關する一切の政事上の權力を有すべきものに非ず。(此の點に於いてオッカムは時の佛蘭西王等が法王の權力に抵抗せしに左袒せり)。即ち敎會と國家とは決して上下の關係を成して一が他を全うする者に非ず全く相分離し其の範圍を異にすべきものなりと。(是れより先きダンテが國家と敎會との關係を對等のものとしたりしことに於いて已に兩者の分離の始まりしを看る。)オッカムはまた國家の起原を論じて曰はく、國家は個人が相互の利益を圖らむが爲めに結べるものにして畢竟利益上の趣意を以て個人の隨意に團結せるものに外ならずと。此の國家の起原に關するオッカムの思想は後に至り民約說としての種々の形を取りて發達し來たれり。