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する眞實の道德上の責任をも缺くべし。吾人が心理作用の實際を顧みるに意志は決して常に知性の指導にのみ從ふ者に非ずして知性の活動が却りて屢〻意志の定むる所に附隨し行くを見る。但し吾人の行爲するや本より知性の作用に待つ所あらざる可からず若し知る所なくんば選擇すべき事柄も莫からむ。然れども知性は唯だ意志の選ぶべき事柄を揭ぐるに止まりて最後の選擇を爲すものは意志なり。吾人が意識の發達する次第を見るに初めは先づ知性によりて思念を浮かべ而して思ひ浮かべたる件の思念が眞に我れのものとならむには之れに注意せざる可からず、即ち意を注ぎて其の念を强くし明らかにすることによりて始めて其れが維持せらる。注意を與へられざるものは唯だ一旦漠然と意識に現はれたるのみにして直ちに之れを脫し去る。而して此くの如き選擇的注意是れ意志の作用也。如何なるものに注意するかは意志以外に之れを定むるものなし。意志は自らを定むるもの、全く自在なるもの也、故に吾人の心理上の作用に於いて中心位を占むるものは意志なり、意志は明らかに知性の上に位するもの也と(voluntas superior est intellectu)。即ちスコートスの取れる所はトマスの知性的決定論に對する