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に於いて大に其の範圍を減縮せるを看る。彼れ以爲へらく、神の存在はアンセルムスの論證に於けるが如く神といふ觀念其のものより證據すること能はず、唯だ天地に現はれたる造化の作用卽ち結果より溯りて其の原因として彼れの存在を推知し得るのみ。而も其の論證は尙ほ以て神を全能なる者、無限なる者といふに足らず、また神が無より萬物を創造せりといふ事及び吾人が靈魂の不死なる事の如きは道理上論證し得べき範圍のものにあらずと。

《スコートスの個物論。》〔四〕通性論に關してはスコートスはアルベルトス及びトマスと意見を同じうして通性は唯だ吾人の假想したるものに外ならずといふ唯名論者の說に反對したれど個物の何なるかに就きてはトマス等と所見を同じうせざりき。トマスは個性の起因(principium individuationis)は物質に在りと說きたり、而して物質は彼れに取りては缺乏を意味するものなりき。スコートスは之れに反して以爲へらく、個物は決して不完全なるものにあらず寧ろ通性即ち一種類のものに通じて其を一種類の物たらしむる所以のもの換言すれば其の種の物の何物たること(quiditas)の外に或物の加はれるなり、而して此の或物は是れ一個物を此の物たらしめて他物