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りき、しかも斯くの如く見るに至りては已に信仰(宗敎)と道理(哲學)との分離に一步を踏み出だしたるものと謂ふを得べし。勿論當時に於いてもライムンドゥス、ルヽス(Raymundus Lullus 一二三五―一三一五、其の所謂「大術」卽ち吾人の根本的槪念を機械的に組み立てて一切の知識の組織を造り出ださむことを目的とせる機械的工夫を以て有名なる人)の如く宗敎上の眞理は道理上悉く說明し得べきものなりと主張するに力めたる者もありたれど是れはむしろ當時の思想の潮勢にはあらざりし也。斯くして其の由來と精神とに於いて全く相異なれるもの(卽ち敎會の宗敎と希臘哲學と)を相合せしめむとして二者を引き合はしむるほど益〻其の同一視すべからざる點あるに氣づき來たり遂に信仰と道理とは寧ろ全く其の範圍を異にするものなりといふ斷案に到達してスコラ哲學元來の目的を抛棄するに至らむは其の自然の結果なるべし。スコラ哲學は其の目的の自然として遂に其の第三期卽ち衰頽の時代に向かへるなり。