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子を離れたる趣ありて其が爲せる種々なる自然科學上の硏究の爲めに敎會に窘迫せられき。

《信仰と道理との分離、スコラ哲學の衰微。》〔一五〕宗敎と哲學と、信仰と道理との一致を目的とせしスコラ哲學は上述せる如くにして其の最も偉大なる組織を成しぬ。されど仔細に觀察すれば、信仰と道理との分離は業に已に此の時に其の萌芽を發しぬと云ひつべし。第一期以來の議論を經たる後、またアリストテレースの大に硏究せられたる後に於いては當初アンセルムスが信仰と道理との內容を全く同一不二となせるが如くには其の關係を見ること能はざるに至れり。當時自然界に關する事件を初めとし總べて哲學上の論は悉く其の標準を希臘の哲學殊にアリストテレースの說に取りたりしが元來希臘の學術は宗敎上の信仰を辯護するが如き目的を以て起これるものに非ず、此の故にスコラ哲學は其の由來と精神とに於いて全く己れと異なるものの遺物を取りて敎會の用に供せむとしたるものなれば遂に哲學と宗敎との同一のものならぬことに氣づかざるを得ず。當時に在りて兩者を結合するに最も有効なりし方法はトマスの說けるが如く一を以て他を全うするものと見ることにあ