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も無かるべからざる者にあらず啻に然るのみにあらずして自家撞着の觀念なり。そは島といふ如き一個物を一向きに完全なりと云ふ如きはあるまじきことなればなり。然るに絕對に完全なるものといふ觀念は如何。惟ふにアンセルムスの論證の根柢には絕對に完全なるものは奈何にしても無かるべからずといふ主意の橫はれるあり。盖し彼れの論證の言ひ表はし方に於いては一面唯だ神といふ觀念を分析して其の存在を證せむとするが如く見ゆれどまた深く其の旨意を探れば此の言表の仕方と相交はりて寧ろ其の根柢に橫はるものとして眞實に存在するものは絕對に實有なるものなりといふ實在論の根本思想の存するを見るなり。

アンセルムスの論旨を考ふるに彼れの心には絕對に完全なる存在者といふ觀念は完全なる島といふ如き觀念とは異なりて必ず無かる可からざるものとして思惟せられしなり。若し苟くも存在するものあらば其の一切の物が依りて以て其の存在を得る所以の絕對に實有なるもの莫かる可からず。不完全なる個々物は之れを無しとも考ふるを得、絕對に遍通なるもの即ち凡べての實有を包含する者