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の骨子を成せりといふを得べし。而して唯名論の勝を制するに至りて信仰と道理とが相分離することとなれる也。中世紀哲學の經過を希臘哲學のに比すれば恰かも反對の趣を呈せりと云ふことを得べし。希臘哲學はもと學術的硏究の通俗的宗敎より分離することによりて始まれるものなりしが其の末路なるプラトーン學派に至りては遂に俗間の宗敎に合體し宗敎的思想を離れて哲學なしといふも不可なき有樣となれり。中世紀哲學はもと宗敎と哲學とは相一致するものなりと云ふ確信を以て始まれりしが其の末路に及びては兩者は全く範圍を異にするものなりと云ふに終はれり。

《スコラ哲學の內容、希臘哲學と神祕說との敎會に及ぼしゝ利害、信仰の牽强附會。》〔四〕哲學思想の內容より云へば中世紀哲學は槪ね希臘學術の遺物を受け繼ぎたるものにして哲學上其が根本思想に特に新らしきものあるを見ず。啻に然るのみならず中世紀の思想に於いて哲學は宗敎に對して寧ろ婢僕の位置に在りて獨立のものならざる故を以てスコラ學は正しくは哲學と謂ふべきものにあらずと考ふる史家もあれど歷史上より見てそを一種の哲學的思想と云はむに少しも不可なし。歐洲思想の變遷を叙せむには中世紀思想を飛び越ゆること能はず、